– Project 1
「豚熱(豚コレラ)への対応で
炭酸ガスを供給」
オカノだけが
できること 、
オカノにしか
できないこと。
「鳴き声以外はすべて食べる」と言われるほど、沖縄県民の食を支えている豚肉。2020(令和2)年、県内で34年ぶりに豚熱の感染が確認され、沖縄の食文化が危機的状況に陥った。しかし、この出来事によって「産業ガスや医療ガスで社会に貢献できることがある」ということを改めて確認できた。
一刻を争う事態に緊迫感
豚熱は、ウイルスによって感染し、強い伝染力と高い致死率が特徴だ。家畜伝染病に指定され、治療法はない。豚熱が発生した場合、養豚場で飼育されている豚は殺処分や焼却等の防疫措置が実施される。
2020(令和2)年1月、沖縄本島中部で豚熱が発生。当社の対応が始まったのは、沖縄県からの1本の電話だった。
「沖縄県ですが、そちらに炭酸ガスはありますか?」
「はい。ありますが、何に使うのでしょうか?」
「今はちょっと言えません…」
「詳しく話していただかないと、弊社も対応ができません」
炭酸ガスには窒息性があり、危険性が伴う。使途が明確にならない限り、販売することはできなかった。ようやく聞き出せたのは「中部で豚熱が発生した疑いがある」というひと言。一刻を争う対応が求められているようだった。
24時間体制で炭酸ガスを搬入
電話を受けた日は週末だったが、急きょ、社員を集めて炭酸ガスを準備し、県からの指示を待った。翌日、豚熱と確定され、発生した中部の豚舎へ向かう。
「防護服に着替えて、待機場所で2〜3時間ほど待たされました。豚舎には入れず、近くで炭酸ガスを引き渡しました」
当時、搬入を担当した社員はこう振り返る。養豚場から出る際には、車輌や空になったガスボンベが念入りに消毒された。炭酸ガス工場に戻るとすぐに追加注文が入り、再び、豚舎へとガスを運ぶ。およそ100㎏のボンベの出し入れに時間がかかった。
このような作業が休む間もなく繰り返され、最初の1週間は24時間体制で対応した。緊迫感に包まれる豚舎周辺の道路には、ウイルスの防除効果がある消石灰がまかれて真っ白に。豚舎からは豚の鳴き声が響いていた。
昼夜を問わずに対応せざるを得なかったのは、殺処分現場で炭酸ガスの正確な使用法が伝わっていないためだった。炭酸ガスは液体なので、使い方を誤ると半分のガスしか使用できない。担当者が交代制だったため、引き継ぎがうまくいっていなかったようだった。オカノ社員が改めて使用法を伝授し、計算通りの搬入量で殺処分が進められ、現場での混乱は収まった。
沖縄の食文化を守る
事態が終息するまで約2カ月。1万3,000頭近くが殺処分になった。
「炭酸ガスを扱っている会社として、オカノにしかできないことがある。世界に誇る沖縄の食文化を守るために、どうしてもやり遂げなければならない」
当時、使命感を持って対応した社員はそう振り返った。豚は、沖縄の食文化にとっては重要なもの。
「私たちの仕事が、琉球王国時代から続く食文化を守ったのだと後になって実感がこみあげてきて、改めて事の重大さを認識した」
当社では初めての事案となったが、業務に対するプライドと使命感を再確認した出来事であった。
【参考資料】
豚熱の防疫措置対応(概要)R4,5.10
https://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/csf/domestic.html
– Next Project
「全国初、酸素供給ユニットの開発と稼働」
未知のウイルスによる社会活動の停止、医療現場の混乱…。その状況は、沖縄でも起きていた。